「俺がいるだろ」鈴木梢インタビュー

 

俳優・庭田悠甫と劇作家・鈴木梢のユニット「鈴庭」による新作公演「俺がいるだろ」が423日(日)に開催される(新高円寺アトラクターズスタジオ)。

 

201611月に約5年ぶりの新作公演「俺がやらねば」を成功させた鈴庭が新たに放つのは、なんと西部劇。

しかも庭田と鈴木が30分の短編をそれぞれ発表するという従来の上演スタイルを捨て去り、初の共作、長編に挑むという。

 

彼らは今、どこに向かおうとしているのか。4月某日、本番を間近に控えた鈴木に話を聞いた。

 「とにかく公演を打とう。やったら見える」って、それだけに懸けてた

 

まずは、「鈴庭」結成の話を聞かせてください。そもそものきっかけは?

 

「元々僕と庭田さんは2006年に大学で出会って、お互い別の演劇団体に所属していたんですが『何か一緒にやりたいね』という話をずっとしていたんですね。それで僕が3年生の時だったかな、庭田さんが15分くらいの短編を上演する時に、僕を演者で呼んでくれたんです。そのあと、僕の卒論を書くための実験公演で庭田さんとしっかり組んで、相棒って感じになった。それで2010年、卒業前に僕がどうしても自分発信でフェスみたいなのをやりたくて。そこで、『鈴庭』の前身となる『俺が一番』という企画を始めたんです。

 

『俺が一番』というのは、僕が主宰で、庭田さんだったり他の人だったりが自分たちの短編を持ち寄って上演するっていうもので。卒業後も続けていきたかったんですが、当時の僕にはビジョンが見えなかった。芸能事務所に所属したりもしてたんですが、すぐには結果が出なくて。何者かになりたいけどどうしたらいいかわからない、庭田さんは庭田さんで色々と模索していて、このままだと2人とも沈んでいくぞっていう恐怖感がすさまじかった。それで、一度置こうってなって『俺が一番』を休止したんですね。そこから数年は僕が就職したのもあったし、疎遠というか……モヤモヤした思いもあってなかなか素直に会えなくて。

 

それで……ここからがようやく結成の話になるんですが(笑)、僕がようやく安定した仕事に就いて、やっぱり芝居したいなって。それで2015年に1回芝居が動きかけたんですよ。お互い本も出来てて。でも頓挫しちゃって、僕自身『あーやっぱ無理か』って諦めかけた。でもなんだろうね、諦められないんですよ。夢に見るんです。町を歩いてても、映画を見ても、自分の芝居の題材を探してる。『ええいもう、やる!』って腹を決めて庭田さんを新宿のとんかつ和幸に呼び出して(笑)、猛説得して半ば無理矢理に始めました。そのときは『とにかく公演を打とう。やったら見える』って、それだけに懸けていた。で、本番の数日前に2人で『できるね。できたね』って話して。基本2人で芝居を回していく方法論が見えたんです。その流れで『ユニット組もう』ってなりました。だからかれこれ、11年を経てここに至ったわけです。すみません、長くて」

 

いえいえ。11年間もあったわけですから。

 

「そうですよね。長いよね。本当に回り道ばっかりで……たらればを考えることは毎日ですが、とはいえ時間は前にしか進まないから落ち込む分のパワーを推進力に変えないと。人より遅れてる分、何をしなくちゃいけないか。仕事との両立はかなりきついけど、考えながら進んでいきたいと思います」 

自分1人じゃ絶対に見られない世界に到達できた

 

―公演の話を。前回と比べて1番の違いってどういう部分になりますか?

 

「やっぱり共作ですかね。誰かと組んでものを書くって初めてですし。まぁ大変でした。よく映画とか見てると脚本家に5人とかクレジットされてるじゃないですか。狂気の沙汰だと思いましたね(笑)。どんだけぶつかったんだよって。今回も、脳みそ絞り出したアイデアもあっさり却下とかしてきますし、まぁそれはお互いですけど。やっぱり険悪になった時期はありましたよ。いいもの作りたいと思ってるからこそ、こだわりも強くなる。でも、おかげで自分1人じゃ絶対に見られない世界に到達できたっていう自負はあります。

 

あ、あとね、これは言いたいんだけど、ぶつかった果てに僕が書き上げたものを庭田さんがすごく気に入ってくれて、滅茶苦茶褒めてくれたんです。やっぱり僕は書く人ですから。そこに関しては勝っていたいというのがある。だから苦しみ抜いたけど、自分の手で相方を納得させられるものを生み出せたことが自信になりました

 

そもそも西部劇というテーマが意外でした。「何故、今、西部劇?」って。

 

「(笑)。それは、そうですよね。ずっと現代劇をやってた奴がいきなり共作で何やるかっていってこれって。でも僕たちにとっては必然というか、カッコいいものを追いかけただけです。基本的に心がガキなので、カッコいいものに憧れる。だから西部劇“風”で、時代考証云々ではなく、あくまでルックです。

 

ユニットとして『公演ごとにジャンルを決めて芝居をする』っていうのをやってみたかったのもありますね。ホラーとかサスペンスとか色々考えた中で、前回が自分たちの我を出し切る実験的なものだったから今回はエンタメだろうと、じゃあコメディやって笑ってもらおうと。それに西部劇を足した感じかな。

 

あと、僕が『キャラもの』にしたいといったんですよね。『庭田』じゃなくてキャラ名で呼ばれるような強烈なやつにしたいなとか、あとはマンガの『スティール・ボール・ラン』の影響が大きいかな。アメリカンなセリフを書きたいっていうのもあったし、こう、僕らにとってカッコいいものって考えた時に、そこは特にもめることもなく西部劇になりました」

引いた自分が常にいて、そいつが消える一瞬だけ『役になれる』

 

―なるほど。では改めて、どういう話かを教えてください。

 

「基本は、2人の男の対話劇です。周りが人ならざるものに囲まれた荒野の宿屋があって、唯一の生き残りの青年がいる。そこに、腕利きのガンマンがやってくる。そっからはコントです。ただ、次第に男2人が抱えてる闇が見えてくる。その中で少しずつ、2人が友情を育んでいく。コメディと思っていたものがドラマに変わる、その瞬間が気持ちよく展開できるようにはしたつもりです。影が濃いほど光が強くなるというか、落とすところはしっかり落として、上げるところはちゃんと上げる。最終的には『面白かったね』って思ってもらえるように。僕らなりのエンタメを目指しました。中盤に舞台全体がガラッと変わるかなり大きな展開があるので、僕ら自身これがどう受け入れられるのか、どんな広がりを見せるのか、期待半分緊張半分という状態ですね」

 

―見どころまでありがとうございます。台本を拝読したんですが、長編ということもあってキャラクターの描き込みがこれまでになく濃い。

 

「稽古でさらに深める部分もありますし、庭田さんととにかく話してますね。『これは言う、言わない』『語尾はどうするか』といったようなキャラ付けの細かいところに至るまで。庭田さんの役『除草剤のティム』というのは僕のアイデアなんですが、庭田さんがどんどん肉付けしてくれて。僕が『においをかぐ』っていう描写を入れたら、さらに気持ち悪くしてくれたんですよ(笑)。あのシーンは笑えるんじゃないかな。狂言回し的な役どころだけど、決めるところはしっかり決める。ネタバレになるので言えませんが、最後の大立ち回りはカッコいいですよ。僕らの思う男くささというか、好きなものが詰め込まれています」

 

―ご自身の役についてはいかがですか?

 

「僕? 僕の役は……基本ツッコミ役で低体温症みたいな感じです(笑)。かなり設定が重い役なので、ちゃんと掬い取れるようにしたいですね。でも基本はコメディだから重くなりすぎてもいけないし。その辺りのバランス配分には気をつけなきゃと思いますね。相手役のティムがとにかく跳ね回ってるので、僕はブレーキ役としてダウナーな芝居をするというか、どこかお客さんの分身としていたい。庭田さんは派手な明るい芝居が得意ですし、僕はやっぱり暗い芝居の方が息がしやすいというか、活きる。芝居全体を下に引っ張る役割ですね。まぁ、僕はやっぱり役者じゃないから、できることを必死にやってという感じでしょうか。そのあたりは庭田さんやスタッフさんにもアドバイスをもらいながら進めてます」

 

―前回も出演はされていましたが、やっぱり基本は書き手という意識がある?

 

「あるある。僕人見知りだしね。人前に出るのも得意じゃないし。そのくせすげー人気者に憧れてるっていう面倒くさい奴ですよ。コンプレックスばっかり(笑)。だから注目されること自体は嬉しいし、本当は多分役者になりたかったんだと思います。映画大好きだし、カッコいいし。でも性格がまったく向いてないなって。今回もある段階の稽古で『俺、演技、苦手だ』って思ったし、引いた自分が常にいて、そいつが消える一瞬だけ『役になれる』っていうか、でもそれが滅多に出ないというか……。演技って本当に難しい。演出する側の自分が常にダメ出ししてる感じですね。すっと入りこめたらもっと気持ちよく芝居できるのかもしれないけど、この年になってもまだそこは突き抜けられないです。

 

当然、やるからには一生懸命やるし、昔役者やってたときも身体ぶっ壊すくらいはやりきったから、下手くそな分燃え尽きるくらいはやりきろうとは思ってます。そこはまったく心配してないんですけど、ただ……庭田の奴がとんでもない無茶ぶりを台本にぶっこんできまして。『これ、俺が、やるの!?』ってほんと途方に暮れました……。今までの僕が出来なかったこと、避けて通ってきたことを今回はやります。だから新しさはあるはずです。いやもう、そのことを考えると胃が痛くなりますよ……(苦笑)。でもこれも共作の醍醐味なので、笑ってもらえるように頑張ります。庭田さんからのエールだと思って。好きなセリフもすごく多い役ですし」

一瞬だけだけど、見てる人が日常を忘れられるものを目指した

 

―好きなセリフについては是非聞きたい。どういう話かイメージがわいてない方も多いと思うので。

 

「そうですよね。映画と違って予告編がないからね。そのあたりもゆくゆくはちゃんとしていきたいなと思いますけど。もっとイメージを抱きやすい広報戦略というか。

 

えっと、好きなセリフ、たくさんあるんですが、僕が演じるDの『愛されちゃいなかったけど、愛してるんだよ多分』というのが印象的ですね。このセリフは大事なシーンで使われるもので、初稿からずっとこのまま。全体的には相当書き直したんですが、ここに関してはもう核なのでこれ以外のセリフは考えられない。書いたときも、すっと出てきましたね。元々“殺し台詞”というか、お客さんの心にざらっと残るものが書きたかった。これは、そういった思いだったりDという人間の内面がガッと出たものなのですごく気に入ってます。

 

ティムに関しては……格言めいたものをよく言う奴なんですよ。アメリカ映画のキャラって『すべらない話』と『人生を生きるための格言』を持ってるじゃないですか。あれはイギリスになるのかもだけど、『007/スカイフォール』でもハビエル・バルデムがボンドを捕らえてネズミの話を持ち出したり、自分語りから始まる映画も多いですよね。『スパイダーマン』とか。そういう部分を意識した上で、僕が好きなのは『人生は夢の数だけ輝いて、後悔の数だけ濁る』というもの。この“夢”というのは本作の大きなテーマでもありますし、自分で書いておきながら『そっか、そうだよな』って妙に納得しちゃって。自分なりに挫折とか後悔とかしてきたからこそ出たのかなと思うと、少し報われたような気持ちになりますね」

 

―いいね。じゃあ、好きなシーンはありますか?

 

「好きなシーン……。いや、難しいな。いつも僕インタビューする側の時にそういうこと聞いてたけど、いざ聞かれると本当アレですね……わかんない……。でも、そうだな、やっててすごく気持ちが動くのは後半の僕の長ゼリフ。決して明るくはないしとても哀しいんだけど、セリフが感情を引っ張ってくれるからすごくやりやすいし、気持ちが自然に入る気がします。後はラストシーンも好きだし……、あーでも、ここは絶対笑ってほしいってシーンが中盤にあって、えーと、ネタバレにならない範囲でいうと、Dとティムがあるものに襲われるんです。そのあるもの、演出、庭田さんの小芝居、あそこはいつも笑っちゃって僕がNG連発するので、お客さんにも笑ってほしいな。1番盛り上がるところだと思うので」

 

―ありがとうございます。ここからは少し目線を変えて、書き手としての部分を聞きたい。共作、西部劇、コメディなどなど鈴木君にとって挑戦が多かった作品だと思うんだけど、ものを書く人として何か発見や手ごたえ、変化を感じた部分はありますか?

 

「そうですね……まず、明るいものを書くってことですよね。僕はやっぱり、自分の使う言葉、思考、そういうものが1番活きるのはこう、すごく冷たい水みたいなそういうものを書くときだと思っていて。でも今回はそこから離れて、まず明るいもの・笑えるものを、そして変な言い方になりますが、自分が飽きないものをやれるように。

 

明るいものとか笑えるものって、自分で書いてても飽きちゃうんですよね。やっぱり、僕は普段生きてて、悲しいものの方が好き。息がしやすいんですよね。多分だけど、この前上演した『距離』っていう作品もそうなんですけど、“救いたい”みたいなのがきっとある。孤独とか、そういうものを抱えてる人が、僕の書いたものを見て『あぁ一緒だ』って思えるように、ちゃんと僕もつらいところにいたいというか。メッセージっていうかラブレターっていうか、それが今までだった。

 

でも今回は、違うアプローチで、一瞬だけだけど、見てる人が日常を忘れられるというか、それを目指したかな」

 

―今までが「寄り添う」だったのに対し、今回は「引っ張り上げる」ような感じかな。

 

「そうですね。うん……なんか、空元気でも一生懸命やれば、それがひょっとしたら希望みたいになるのかな……。そうなればいいなって。寄り添うとか、そこに転がってる不安とか孤独とかを切り取って提示するのは、『文梢』の方でやりました」

 

―文梢というのは、今回も配布される詩集のことだよね。

  

「そう。それを見てもらえれば、僕のルーツというか普段がそっちの色だということがわかると思います。そしたら、多分、今回挑戦したものとか、違いみたいなものが透けてくるんじゃないかな」