『ふるさ、と、』

 

 「持たざる者は強い」という言葉がある。有名な映画のセリフだったか格言だったか、詳しいことは忘れてしまった。なんにせよ、上から目線のいけ好かない言葉だ。

 

 だが、東京に出てきて来年で十年。このところ、その言葉をよく思い出す。

 

 仕事があり、生活があり、悲しみに出会い、喜びはいつも足りない。

 深夜に帰宅しつけたテレビでは、脱サラして自由を手に入れた同世代の人々を追うドキュメンタリーが流れている。僕はそれを、冷えた飯を食いながら眺める。

 悲観などしない。ただ、何か予想外のことが起きる気もしない。

それも「安定」の一つの形なのだと、最近わかった。

 

「持たざる」僕の、一体どこが強いのだろうか?

 

 今朝、会社に行く道中、誰かが僕にぶつかった。でも僕も、きっと相手も、あまり気に留めなかった。この街ではそんなこと、当たり前だからだ。

 そのまま数歩歩いて、僕は立ち止まった。靴紐がほどけていたのだ。しゃがんで靴紐を結びなおしながら、僕らはまるで魚みたいだと思った。そこにいるのに、一緒に泳いでいるのに、関心を持たない。なんだか急に馬鹿らしくなった。俺たちは人間だろうが。

 こぶしを握り締めて、ふと気づいた。

 

きっと、持たざる者というのは、持ってない奴を指すのではなく、持つことを選ばなかった奴の称号なのだ。

 何にも縛られない。自由に生きる。たった一人で、誰の指図も受けない。些細なことなんて気にしない。すべてを捨て、孤独と引き換えに信念を選択した人々。

 なんて素晴らしいのだろう。惚れてまう。これぞ、これこそが理想の生き方やが……

 夢見がちな僕は、早速路上で妄想に耽った。さっきのぶつかりマンなんて、もうどうでもよかった。

 だが、しかし。

目をつぶった先に見えたのは、故郷の海。続いて、家族の顔。愛すべきわんこの鼻づら。

 なんてことだ。自分はもうとっくに、「持っちゃってる」側だった。

 僕は愕然とした。これじゃあ、強くなんてなれるわけがない。

 

 離れていても、いつでも心で光ってる。

 なんて憎たらしい、ふるさとの暖かさ。

 

 僕はため息をついて、再び歩き出した。

 持たざる者への道は、まだまだ遠い。でも、心のどっかで、安心もしている。

 

 やっぱり、地元が大好きだ。