アパート

 花曇りの空を見上げて、たまった息を一つ、吐き出した。
 せっかく何日かぶりに過ごしやすい気候なのに、今日は月が出ていない。したがって公園の中は薄暗い。おぼろげにともる街灯も、いつ電球を入れ替えたのかが分からないくらいのありさまだ。勝手な推測だが、行政がサボっているせいだろう。
でも、街灯の電球を誰かが入れ替えているところなんて今まで一度も見たことがないな。一体どういうシステムになっているんだろう。それとも電球式じゃないのだろうか。
 僕はそんなどうでもいいことを、ぼんやりと考えていた。
 目の前には、ゆっくりと死んでいく途中の男が転がっている。
 僕は視線を落とし、それを改めて眺めた。ほんの少しだけぴくぴく動いているように見えるが、気のせいだろう。というか、別に今この瞬間この男が身体を動かしていても、動かしていなくても、僕にとってはどうでもいいことなのだ。どうせすぐ死ぬ。僕は急いでいない。ゆっくり観察する時間くらい、たっぷりあるのだ。
 周りが薄暗いとはいえ、男の顔が苦痛にゆがんでいるのはよくわかったし、額に浮かぶ脂汗は見ていて痛々しいほどだ。それなのに、何の感情もわいてこない。不思議なくらい、僕は何も思わなかった。恨みや怒りさえも、特に感じない。それどころか頭はもうすでに次の作業工程を反芻している。
 ここまではノーミスだ。通行人もいない。前々から準備をしていたとはいえ、ここまでうまくいくとは思っていなかった。本音を言えば捕まることをある程度覚悟していたのに、これではなんだか少し拍子抜けだった。ただ、別に捕まりたいわけではないから、これはとてもいい兆候だとも僕は感じていた。
 ついている、というのは、事を成すには一番必要なものだが、同時に満たすのがとても困難な条件のように思う。それが今自分に宿っているということは、きっとこの先の工程もうまくいくだろう。そんなとんとん拍子の状態には誰しもがなれるとは限らない。感謝をしなくては。
 僕は不意に、男に向かって微笑みかけたい衝動に駆られたが、そんなことをされても気持ちが悪いだろうしさすがに失礼な気がしてやめてしまった。それに、彼にはどう見てもこちらを見る余裕などはなさそうだった。彼はひゅうひゅうと変な音を立てて呼吸をしている。もうすぐ死んでしまうのに、身体は最後の一秒までも自らを生かそうとするのだな、と僕は妙に感心してしまった。
 この男を殺すと決めてから、刺すのか、殴るのか、あるいはほかの方法を選ぶのか、この数日間はずっとそのことばかりを考えていた。どれが一番痛いのか、確実なのか、実際にインターネットで調べてみたりもした。
 だが結局、そこに載っているどんな情報も僕に親身に接してはくれなかった。だからやっぱり、最後は自分で決めた方法を僕は取ることにした。それが一番しっくり来る方法だと思ったからだ。だけれど考えてみればそれは当たり前だ。だって、これは他の誰でもない、僕たちのみの問題なのだから。
 ネット上に広がっている膨大な情報は確かに参考にはなるけれども、そういった意味では決して答えを示してくれることはなかった。それが当たり前だと思うし、情報というのは元来そういったものだろう。そのことに対しては、僕はなんとも思っていない。

 

(続く)